国道864号線沿い

国道864号線沿い

はま寿司とスシローが向かい合わせに建っている田舎の国道

あの日のエールを私に、レスポンスを君に。

 嘘っぱちの応援歌を歌おう。誰のためでもない、空っぽのエールを。歌うことが、夢を捨ててしまった私ができる、唯一の贖罪だから。

 

 春だというのに、肌に刺さるような季節外れの寒風が頬を撫でつけてきた。寒さのあまり、私は思わずポケットに入れていた手をギュッと握りしめる。あまりにも強く握りしめたものだから手に鋭い痛みが走ったけれども、そんなことはどうでもよかった。本当にどうでもよかったのだ。

 一般的にポケットに手を入れる行為は警戒心や人恋しさの表れらしい。全くあべこべな心理のように思えるが、私はどちらに当てはまるのだろうか。ただ一つ確かなのは、ポケットに手を入れる悪癖が身に付いたのはアンダーノースザワに来てからだということだ。この街で手に入れたのは懐疑心なのか孤独なのか。そんなことを思いながら、風が止むタイミングを計って私はポケットから手を取り出し、のそのそとギターケースからギターを取り出した。

 そこそこに往来のある駅前。私が向かい合っていたのはマイクスタンドだった。半ば押される形で決まってしまったが、今からここで歌うことになっているらしい。一体どうしてこんなことになってしまったのだろうか、と一人虚を見つめる。気乗りがしなくて思わず出てしまったため息が、マイクの力を借りて増幅されてしまった。幸いなことに、気弱な音は周りを歩いている人にも、バンドのメンバーにも聴こえていなかったらしい。ちょっとホッとした気持ちがある一方で、なんだか今の状況が情けなくて、気に食わなくて、そこら辺にあった石を思いっきり蹴り跳ばそうとしたけれども、どうやらうまくヒットしなかったらしく、石は力なくコロコロと転がっていった。それは何だか今の自分を表しているようで、私はその石ころの行く先を目で追うことができなかった。

 

 

 

 叶えたい夢があった。見たことのない世界にトキメキを見つけにいくという夢。今思えば、雲を掴むかのような話だったのかもしれない。そもそもトキメキを見つけるなんて夢自体、輪郭の見えないぼんやりとした、それこそ例え通り雲みたいなものだから当然といえば当然なのだけれど。それでも、当時は本気で叶えられると思っていた。歌なら、バンドなら、アンダーノースザワなら、その夢が叶えられると思っていた。

 夢を叶えるために、ギターを買った。実際のところ、ギターを買ったくらいじゃ夢には半歩も近づけてないんだけれども、当時の私は何歩も夢に近づいているような気がしていた。一人暮らしだって始めた。この時は数十歩近づけた気がした。アクションを起こせばそれだけ夢に近づけているような感覚があって、今思えば恥ずかしいことこの上ないけれど、まだ誰の匂いもしない部屋で一人、夢を叶えるまでの道のりを逆算して一人鼻息を荒くしていたこともあった。流石に謙虚さは持ち合わせていたのですぐ叶うだろう、とまでは思っていなかったが、それでも近い未来、絶対夢を掴むんだって思っていた。

 

 そんな浮かれ気分の時に作った曲が「エールアンドレスポンス」だった。

 

 「フレーフレー キミの夢がかなう場所。」ちょっと青臭いかな、なんて笑いながら一人でこそこそと作った歌詞。でもその歌詞には確かに私の信念が込められていた。絶対に最高の仲間と最高の舞台へ行く。ちょっと怖さもあるけれど、恐れることなく叶う夢などないんだ、そう自分を奮い立たせる応援歌。この応援歌を引っ提げて、一花咲かせてやるんだ、そう本気で思っていた。

 

 驚くことに、自分の予想よりも夢は順調に動き出した。どうやら客観的に見ても私にはギターのセンスがあったらしい。私のギターにはパワーが、トキメキがあった。かき鳴らせばかき鳴らすほど、私の周りには人が集まった。そのことが幸いし、アンダーノースザワに来てそう経たないうちにとあるバンドにメンバーとして勧誘された。初めての仲間だった。夢は少しだけ確信に変わった。

 私が引っさげてきた応援歌を彼らと一緒に歌ったりもした。「大切な仲間」という歌詞に気持ちを込めて、彼らの顔を脳裏に浮かべて。みんなに「意外とクサい歌詞を書くんだね」って笑われたりもしたけど、なんだか悪い気はしなかった。ここが夢が叶う場所で、みんなが大切な仲間だと信じていたから。

 

 そんな信念を込めた歌だったはずだったのに。

 

「もう無理なんだよ、お前と一緒にやっていくのは」

 ある日の練習終わり。突然吐き捨てるように言われた言葉は、今でも昨日のことのように思い出せる。言葉どころか、その日の私のギターがとても調子が良かったこと、しんと静まり返ったスタジオにやけにエアコンの動作音が鳴り響いていたこと、そしてみんなが私に冷たい目線を向けていたこと。その全てが、鮮明に思い出せるのだ。いや、むしろ忘れられるはずがないのだ。皮肉にも、その強烈で残酷な言葉が、今日の私を作りあげているのだから。

 どうやら強すぎるパワーは時に相手を蝕む劇薬にもなり得るらしかった。至近距離で浴びることを嫌った仲間だった人たちは、傍観者へと戻っていった。私の夢は、私のギターの持つパワーは、彼らには重すぎたのだ。

 数日が経ち、正式にバンドの解散が決まった日に、様々な言葉をもらった。「まあ、頑張れよ。」と言った慰めの言葉から、無言の恨みがましい目まで、本当に様々な言葉をもらった。目は口程に物を言うなんていうのはよく言ったものだと思ったりした。

 そして、そんな中でも格別に心に響いた言葉があった。

 

「貴方の夢は貴方だけでしか叶えられないから私たちは巻き込まないでほしい」

 

 ストンと腑に落ちる音がした気がした。そうか、私の夢に、仲間はいらないんだ。「エールアンドレスポンス」で描いたような仲間はいらないんだ、って。

 

 結局、その日を境にあの人たちとは一度も会っていない。切り捨てたのかはたまた切り捨てられたのか、縁切りの押し問答の結論は一生出ることはないだろうけど、ただ一つ確かなことは、その時から私は、一人で生きていくことを決意した。誰の助けもいらない。この手は二度と誰にも差し伸べない。そう固く誓ったのだ。バンド解散日。それは私が今の私として生きていく出発日だった。

 

 ああ、そっか。ポケットに手を入れるようになったのは、あの日からだったっけ。 

 

 

 

 あの頃から考えると信じられないような顔つきでギターを構える。月日が経つほどにギターが重くなっていっているような気がするのは気のせいだろうか。気乗りがしないまま、歌う準備を始める。

 持ち歌は変わらず「エールアンドレスポンス」の一曲のみだった。相も変わらず歌う気が起きない。いや、厳密には違う。心を込めて歌う気が起きないのだ。それもそうだ。あの歌に広がっているのは、夢を諦める前の私が描いた青写真なのだから。今の私が、あの歌を気持ちを込めて歌う資格なんてないんだから。今この曲を歌う原動力となっているのは、この歌に手向ける、せめてもの贖罪の心のみだった。

 

 スティックでカウントを取る音が聴こえ、曲が始まる。応援歌から哀悼歌と変化してしまった歌を歌う。からっぽのエールはやはり誰の心にも響かない。嘘まみれの応援歌は、闇夜に溶けて消えていった。

 

 消えていったはずだったのに。

 

 足音が近づいてくる。音がする先を見ると、いつの間にかたった一人ではあるが観客がいることに気が付いた。白髪とそれに負けないくらい白い肌を持つ女の子が私の曲を聴いている。耳の形からして、きつね族だろう、なんとなくその出で立ちから寒い地方の出身のように思えた。

 彼女はいつの間にか座り込み、首を振って楽しそうにしている。楽しそうなのがこちらまで伝わってくるような満点の笑顔。その顔を私は直視することができなかった。だって、その満面の笑みは、純粋に音楽を楽しんでそうな姿は、夢を求めてアンダーノースザワにやってきた頃の私と全く一緒だったからだ。

 恐らく彼女も夢を求めてこの街にやってきたのだろう。誰かは分からないけど、「歌って即デビュー!アーティストオーディション」の紙を落としたおっちょこちょいな人みたいに。そんな未来ある少女が、私の歌を聴きにくるなんて、なんて皮肉なのだろうか。けれど、けれども。それが、少し羨ましかったのかもしれない。あのトキメキを見つけたかのようなキラキラした目が。純粋に音楽を楽しんでそうな姿が。そのどれもが、私の捨てたものだったからこそ。

 

 歌がCメロに差し掛かる。いつの間にか、歌には熱が込められていた。忘れていたはずなのに。いや、思い出そうとしなかったはずなのに。それでも、あの笑顔を見ると、どうしようもないほどに悲しくて、嬉しくなってしまうから。

 

 勇気を出して、もう一度白髪の少女を見やる。少女は、泣いていた。

 

 驚いた。この歌を聴いて泣く人がいるなんて信じられなかったから。ギターの上手さに感心する人はいても、この応援歌に心を動かされている人は、いなかったから。彼女には、この歌詞が響いているのだろうか。彼女こそが、私の追い求めていた本当の……

 

 

 

「あんたも歌う?」

 気づいた時には、手を差し伸べていた。

 

 

 

 歌い終わり、息も絶え絶えに白髪の少女の方を見る。こんな奇跡があってもいいのだろうかと驚く私の目を真っすぐ見据えて、青臭い歌詞が驚くほどに似合う純朴そうな少女はもう一度笑った。それは、この出会いが当然であるかのように。

 その笑顔は「仲間」に向ける笑顔だった。

 

 

 

 

 

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